POINT OF VIEW ポイントオブビュー

明治大学教授

江下雅之

放送メディア マニアが生み出した新たなコミュニケーション


放送というメディアは、技術的には電磁波を用いた通信にほかならない。1901年にグリエルモ・マルコーニが大西洋を横断する無線通信の実験に成功し、1906年にリー・ド・フォレストが三極真空管を発明した。20世紀早々には放送の技術的な土台は形成されたといっていい。しかし、本格的な放送事業が始まるまでに、それから20年以上も待たねばならなかった。

新技術が即座に新しいメディアを生み出すわけではないのだ。
もともと無線通信の技術は有線通信の代替手段として開発が進められた。とりわけ海軍国家であるイギリスが軍を中心に熱心に取り組んだ。
マルコーニを積極的に支援したのもイギリス海軍だった。そして有線通信は特定の相手に対してメッセージを伝達する手段であり、当然ながら無線通信でも同様の利用スタイルが想定されていた。不特定の相手にメッセージを「ばらまく」(broadcast)という発想は、ここからは生じえなかったのである。
1912年に起きた豪華客船タイタニック号の沈没事故は、発想の転換を促す契機となりかけた。後にRCA社の経営者となるデビッド・サーノフは、この事故当時、電信技師として事故現場付近から送られてきた無線電信を受信し、その内容を「ばらまく」ように発信し続けた。このとき彼は「放送」を思い至り、企画書を取りまとめたが、残念ながら経営者に受け入れられることはなかった。無線事業に携わっていた者にとって、無線とは特定の相手と交信するものであり、不特定の相手に「ばらまく」ものではなかったのだろう。
ところがアマチュアたちの感覚は違っていた。

第一次大戦前後のアメリカでは真空管を用いた無線機を自分で組み立て、それを用いてコミュニケーション自体を楽しむことが一つのブームとなった。無線クラブが設立された高校もあったという。無線マニアたちは同好の士とチャットをしたり、あるいはチャットを通じて得た情報を不特定の相手に「ばらまく」といったことに興じた。決まった曜日の決まった時間に天気予報とかスポーツの結果などの情報を「ばらまく」者も出てきた。そのなかにはウェスチング・ハウス社の技術者フランク・コンラッドのように、会社のお墨付きを得て「放送局」を私的に開設する者もいた。
これはKDKA局と呼ばれ、ラジオ放送局のさきがけと見なされている。

その数年後に放送事業者NBCが設立され、放送という新しいメディアがようやく誕生するに至った。一対一の交信で用いるものという発想を突破したのは、通信事業の当事者ではない。自分の楽しみのために時間やお金を惜しみなく投入したアマチュアの熱狂が、一対不特定という新しいコミュニケーションを生み出したのである。
現在のインターネットにおいても、なにかにハマった一般消費者が何らかの突破口を切り開く余地は大きいのではないか。問題は、なにかにハマることを社会がどこまで許容できるか、という点かもしれない。


戻る

採用情報

現在はありません。

お問い合わせ

TEL:03-5937-5480
FAX:03-5937-5476
Mail: info@denkeishimbun.co.jp

facebook